なせば成らぬの精神宿る 自力本願の地米沢

江戸時代中期。
米沢藩 第九代藩主 上杉鷹山公が愛した米沢は、困窮した藩財政、さらに凶作や飢饉という
最悪の状況が重なり絶体絶命の大ピンチでした。
しかし、鷹山公はどんなに辛くとも前を向き未来を切り拓くために様々な改革を行いました。

なせば成る なさねば成らぬ 何事も
成らぬは人の なさぬなりけり

この言葉から「絶対にあきらめない。あきらめずにやれば必ずできる。」という
鷹山公の強い意志を読み取ることができます。

逆境を乗り越え、誰一人取り残すことなく、米沢を救った偉大なリーダー上杉鷹山公。

厳しい環境の中に希望を見出し、新たな取り組みにチャレンジして繁栄の礎を築き、
何事も前向きに挑戦することを後押しした鷹山公の心意気は、現代に生きる人々にとって
忘れてはいけない大切なことを教えてくれました。

自分の力を信じてあきらめずに実行する皆さまを
自力本願の地 米沢が応援しています。

NEWS

2024年12月7日(土)に
市民講座を開催!

「なさねば成らぬの精神」を現代に活かし、自力本願の観点から未来を切り拓くヒントを
探るための市民講座を開催します。ぜひご参加ください。

【対象者】

  • 米沢の未来や地域づくりに興味のある方(小学生から参加可)
  • 自力本願の考え方に興味のある方または企業
  • 米沢の観光ガイド(教育/研修ツアーガイド)になってみたい方
市民講座 米沢から未来を切り拓く 市民講座 米沢から未来を切り拓く

上杉 鷹山うえすぎようざん

米沢藩9代藩主の上杉鷹山は、江戸時代屈指の名君として知られています。17歳の若さで家督を相続しますが、当時の米沢藩は多額の借金を抱えており、人々は困窮していました。これらの問題を克服するために、鷹山は家臣と領民の模範になるよう質素倹約に努め、米沢藩の新しい産業を振興し、藩の財政改革にも力を注ぎました。今でも鷹山は、市民のみならず世界中の人々から敬われる偉大なリーダーです。

どんなに辛くとも前を向き
自分の力を信じてあきらめない

なさねば成らぬの精神が宿るまち 米沢。一人ひとりが信念を持ち、未来を向いてやり抜くことの大切さを心得ている理由は、どんな困難な状況でもあきらめなかった鷹山の教えに繋がっていきます。きっといつの時代でも全ての人への生きるヒントとなる、彼のなし遂げた改革や取組をご紹介いたします。

  1. 大倹約令の実施

    困窮した藩を立て直すために、まず大検約が必要と覚悟を決めた鷹山は、12箇条からなる大倹約令を発令しました。
    藩主の生活費をおよそ7分の2とし、日常の食事は一汁一菜、普段着は木綿、奥女中も50人から9人に減らしました。

  2. 農業開発

    凶作等で困窮し、働く意欲を失いかけていた領民を奮起させようと、鷹山は藩主自ら田を耕す「藉田の礼」を執り行いました。農業の尊さを領民に示し、武士が農事に関わることを恥とする風潮も一新され、翌年から家臣団による新田開発が始まりました。

  3. 殖産興業

    あらゆる産物の自給自足可能な体制を目指し、「米沢織」やお鷹ぽっぽで有名な「笹野一刀彫」などの工芸品を奨励したとされています。他にも製塩や製紙、製陶などの技術開発にも取り組むなど、破綻した藩財政を立て直すことに尽力しました。

上杉鷹山公をさらに知る

白子神社しろこじんじゃ

712年の創建として、「蚕」にまつわる大変古い由緒を伝えられています。昔、神のお告げによって桑林一面が雪景色に見えるほどの蚕が生じ、桑を食べた後にはたくさんの繭を作りました。この不思議な現象により、この地を白蚕(白子に由来する)村と呼び、和銅5年に神社を建て白蚕(白子)明神としたとされています。
住所〒992-0051 
山形県米沢市城北2-3-25
電話0238-21-3482

鷹山が誓いを納めた
神社だからこそ現代に伝えたい
自ら実行することの大切さ

当時困窮していた藩を立て直す決意を表す為に、大倹約のもと米沢藩の復興を誓った誓詞を白子神社に奉納しました。誓いを破れば神様からの罰を受けるという強い覚悟とともに、「あきらめずにやれば必ずできる。」と意志を掲げ、自ら先頭に立ちやり抜くことを貫いた鷹山。そんな心意気は当時のみならず現代を生きる人々の胸にも刻み込まれています。
鷹山が教えてくれた「誓いを立て自ら実行する大切さ」が、目標に向かって頑張る全国の方に響き届くよう、白子神社からこれからも伝え続けます。

倹約誓詞
写真:倹約誓詞 写し(白子神社蔵)
※原本も白子神社 蔵

倹約誓詞

明和4年(1767)9月6日、鷹山公が自ら筆をとり、米沢の鎮守である白子神社に納めた誓詞。この決意をもって、9月18日に江戸藩邸で大倹約令を発表しました。

白子神社をさらに知る

原方さしこ®はらかたさしこ

衣類の生地が麻や木綿しかなかった昔、生活の知恵と家族への愛情がつくり出した手仕事。布に糸を何度も刺すことで丈夫さと暖かさが兼ね備えられます。「亀甲(きっこう)」か「松皮菱(まつかわびし)」の柄に、様々な種類の文様が入るのが最大の特徴。原方衆の暮らしにまつわるモチーフから考案された文様が多くあり、原方衆の妻たちの心と技術が今もなお現代に伝承され続けています。

針を懐刀にして
士族の身分に身構えた執念の業

米沢が誇る意地の芸術「原方さしこ」。関ヶ原の合戦後、半農半士を余儀なくされた上杉家下級武士「原方衆」の妻たちが、着るものもままならない貧しさの中で、布に糸を刺すことでつなぎ重ね、温かく丈夫に長持ちするようにと“さしこ”を施したことが始まりです。
そんな暮らしの中でも、武士のプライドだけは忘れまいと、美しい文様を施した花ぞうきんを玄関に置き、本来の身分を思い起こさせていたと云われています。針を懐刀にして士族の身分に身構えた執念の業は、まさに「なさねば成らぬの精神」そのものです。

原方さしこ「花ぞうきん」
遠藤 きよ子

遠藤 きよ子

原方さしこ作家。米沢市で生まれ育ち、米沢織の旧家に嫁いでからは織物を学ぶ一方で、花ぞうきんなどの刺し子を手がける。これまでに個展や国内外多くの展示会に出展し、ポーラ伝統文化財団「地域賞」をはじめとする様々な賞を受賞。

主な著書:「花ぞうきん」「ふるさとの玉手箱」

原方さしこ「花ぞうきん」
原方さしこをさらに知る

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インスタグラムをもっと見る@jirikihongan_yonezawa

アクセス情報

山形県米沢市

米沢市は山形県の最南端に位置し、山形県の母なる川「最上川」の源である吾妻連峰の裾野に広がる米沢盆地にあります。気候は盆地特有で、夏は暑く冬は寒さが厳しいですが、四季の移り変わりがはっきりしており、四季折々の情緒を肌で感じることができます。